この椅子を図工室以外で見たことない。と思ったけど、理科室もそうだったかな。。人間の記憶など曖昧なものだ。理科室がこの椅子である理由ってあるのか?まあいいか。興味のないことなど、どうでもいいのだ。人間の脳など適当なものだ。ならば、もっと曖昧に、もっと適当に生きれればいいのに!白黒つける必要もない。毎日仕事に行かなくたっていいじゃないか!と頭では考えながら、毎日私は出勤している。もう何年経っただろう。真面目そうに見えるけど、人生とちゃんと向き合っていない不真面目な生き方なのかもしれない。全く私は適当である。
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